あれだけ酷評されるなろう作品がなぜ読まれ、売れるのかについての雑記
塾で生徒と話していた時にちょうど東ロボくんの話が出て、その流れでこの話をしたので書くことにしました
→これが東ロボくんの研究結果について書いた本
大雑把な理解として
「8割の受験生が日本語が読めない」
でいいと思います
このラインは凡そ偏差値60弱とのこと
今回はほかの論説のようにこの本が正しいかどうかについて話す気はありません
これをベースに考えていきます
まずなろうは学生向けであろうと考えられます
学生というのはあまり文章を自発的に読みません
自分のいたそれなりの進学校ですら読書は盛んではなかったと思います
読書家なんて言えるのは自分以外ついぞ見なかったかと
さて、話を戻すと小説を読む時には、教科書位は読めることが前提となっています
ということは2割しか読めないように作られているんです
売れる本は2割が買う本ではなく、話題になって8割も買うようになる本なわけですね
だからドラマ化やアニメ化を沢山するわけです
で、なろうはあれだけ巷で酷評されながらうれているのは8割に買われているからだと考えます
同じようなストーリーライン、大きくは変わらない世界設定とシステム
山場の抑揚がそこまで大きくなかったり、段落が短めだったり等々
そこに読みにくくならない程度の独自性を加えればなろう系な訳ですよ
文章がきちんと読めなくても何とかなる要素で作られている作品、それが所謂なろう系だと考えられます
勿論、物によってはこれをちゃんと破り一つの作品として評価すべきものもありますがマイノリティであることも確かでしょう
そしてこれらの要素はだいたい知ってるから文章がそこまでわからなくても何とかなるという最強の武器を携えて8割の人達に訴えかけることで
ちゃんと読んだ人たちが面白くないと酷評しながらも売れているという歪な構図を生み出したのではないかと考えられます
いやもちろん思索にすぎませんが、仮定としてはかなりいいのでは?
そう考えるとどれだけ面白くないにしても読書の入口になるならいいのかなぁと思わなくはないですよね
もちろん段々と面白いものに触れていっては欲しいんですけど…
というわけでマックの注文待ちで書いたちょっとした思索でした
何かあれば@rey_u_r_e_i2725 までどうぞ