神を失った日 EGOISTラストライブ横浜公演Echoesを終えて
12年前、僕はある曲を聴いた
それは雷のようであった
それは台風のようであって
それは苦しみに満ちた僕の人生の道標だったように思う
きっと今でもそう思ってる
12年前と言えば中学受験が終わり、中学1年のデビューを見事に失敗した頃だったろうか
勉強にやる気がなく、部活に身が入るかと言われればそうでも無い
前者は周りが才能の塊だらけで心が折れていたし、後者は小学校と別の部活をしていたから出遅れていた
そんな中アニメにハマり始め、(これゾン当たりがスタートだったように思う)端から見ていたアニメの中の一つがGuilty Crownだった
正直に言ってしまえばアニメ自体は凄く好きなアニメであるものの、アニメ史に残る名アニメだとは思っていない
少なく見積もって1000タイトル近くは見てきた今から振り返ると好きではあるものの穴もあるそんなアニメだったように思う
1期のedのDeparturesは良くも悪くも大人しい曲で
ライブの〆にほぼほぼ使われるようなバラードだ
今から思えば明らかに鬱病であっただろう僕には
そして悲しいことに未だにあまり変わってないような気がするが
愛が理解できない僕には難解な曲であった
今でこそ無駄に長いだけの人生のおかげで本当に良い曲だと思っているとはいえ当時の僕には良曲止まりであった
2期のopを初めて聞いた時、僕は驚いた
人生で音楽に心を揺さぶられる経験をしたのは多分初めてだったからだ
それまでも色んな曲を聞いてきたはずだが
ついぞ音の連なりとしての価値しか見いだせなかった
当時この曲を聞いて30分間くらい頭がフリーズしていたような記憶がある(そのせいで前後のアニメの記憶が無かった)
そんな曲がThe Everlasting Guilty Crownだ
そしてこの曲がこの後12年間EGOISTを追いかけ続けるきっかけとなった
そのままアニメにハマりながら中学生活を続けていった訳だが、悲しい事にあまり良い中学生活ではなかった
今となっては周りにも迷惑をかけたと思ってはいるが、誰がどう見ても自分は思いっきり問題児だったし自分が悪いとは全く思っていなかった
まぁ家庭環境の悪さ(DV)とか特殊性から来る悪目立ちとか部活での揉め事が多かったりとか(これのせいで中学3年の期間はちょいちょいサボってた)色んな要因があったのだが
自分が悪いと思ってないし鬱病じみた精神じゃ周りなんか見えるわけない訳で
その頃はずっと死ぬことだけを考えていた
強いて言えば小学校の頃に精神をぶっ壊して自殺未遂を沢山したが
それをぶり返した形だ
小学校以来1人で生きていける強さを渇望し続けた自分が
それが出来ないと周囲を見て思った時の絶望こそがこの時期の鬱の真因だったと思うが
それ以上に周囲の環境がグチャグチャすぎて考えて紐解く余裕なんてなく生きてる価値がないと思っていた
生きる理由もモチベーションもない自分を何とか現世に留め続けていた理由は本当にEGOISTだったと思う
The Everlasting GuiltyCrownは希望の曲だ
どんな苦境でも、失敗した過去でも、奪い合いの中でも
希望の灯が心の内にこそあると歌う
もう寄る辺がないと思っていた自分が
この世にいなくていいと思っていた自分が
この世界でこの無様で不必要な身体を持ったまま生きていいと
希望が僕の胸の中にある、そしてその希望こそが生きていく強さだと歌ってくれたこの曲こそが僕にとっての希望だった
僕にとっての聖歌のようなものであって
この曲は僕にとって神の教えであったのだ
それ以降僕はずっとEGOISTに支えられてきた
高校になって部活を本気でやり始めたが、悲しい事に周りから見ても明らかなくらい僕には才能がなかった
そんな中何とか3年間振り絞ったように部活を続けられたのはEGOISTの曲を聞いていたからだった
自分一人だけベンチ入りすら出来なかった高校2年の春と夏、家では頭を掻きむしりながら泣いていた
部活に出るのすらストレスで、大会は全て行きたくなかったけど
ずっとイヤホンをして曲を聴いていた
高校3年でもう大会に出る目がないと薄々気づいていた時も、
奮い立たせて努力していた時はずっとEGOISTを聞いていたように思う
受験期は…逆に余裕が出来てライブを見に行った記憶が…
とはいえ勉強も部活のし過ぎで死ぬほど遅れていたから(高3の夏に中学単語から覚え始めた)
どう考えても1日10時間以上やる必要があると思った時に聞いていたのもEGOISTだ
僕が青春と言うほど青くも無い泥臭い時代を必死に生きていた時、ずっと聞いていたのはEGOISTだった
そうして僕は何とかギリギリ大学生になった
大学生は3年までは順調も順調でライブに全部行きながら充実した生活を過ごしていた
が、4年になり親ともめ親が大暴れし進路を180度変更しなければならなくなった
この時も自分の不運を呪ったし、小学校の頃から親は今で言うモンスターペアレンツだったので
大学生時代には流石に親からの暴力は無かったものの
家に帰ると理由もなく2.3時間説教を受けて金について脅されるのは流石にメンタルをボロボロにするには充分だった
正直精神的にはかなり死にかけていたが、そんな時もずっとEGOISTを聞いていた
余裕がある時期こそ普通のファンとして追いかけていただけだが
人生の苦境には必ずEGOISTという偶像に縋っていたと思う
就職してからも辛い時期はずっと曲を聴いていたと思う、ここまで来ると多分何かおかしいのだろう
多分chellyちゃんもEGOISTのスタッフの面々も全くそんな意図はないと思うのだが
僕はEGOISTという宗教に救われていたのだ
EGOISTに自分の存在価値の証明をしてもらっていたのかもしれない
誰もそんな用法用量を明らかに守らない利用の仕方を勧めていたわけもないのだが
少なくとも僕の人生はEGOISTによって支えられていたのだ
そんな人生の全てを支えてもらっていたアーティストのラストライブは唐突に来た
とは言っても
EGOISTとしての活動が疎らであること、
recheという名義で活動し始めたこと(それはそれで喜ばしいことだしずっと追っている)
少しずつ嫌な予感はあった(なかむーのツイートとか)
正直に言えば見て見ぬふりをしていた
無理しない程度にゆっくりEGOISTの活動もしていくのかなくらいに思っていたのだ
予兆はいくらでもあったのに
きっとchellyちゃんにもスタッフにも色んな思いも葛藤も上手くいかないこともあったと思う
社会は突出した能力さえあれば渡っていけるものでは無い
chellyちゃんの歌声は僕の人生を解決してくれたが、chellyちゃん自身の人生は解決出来なかったのだ
人生がそんな難しいものだってことは身をもって知っていたし、社会に出てそれなりの経験を詰んでいたから納得はいった
いや、納得は僕がする話では無い、僕には関係の無い話なのだ
それはchellyちゃん達とスタッフたちの話だ
僕は納得ではなく事実が呑み込めなかっただけだし何とか理解出来ただけに過ぎない
実際当時ラストライブが発表されて、僕は仕事場で割とほんとに何時間かなんも出来なくて上司に心配された
なんたって僕の宗教が唐突に終わりを告げる日がやってきたのだ
神の死刑宣告というのは、あまりにも理不尽だ
それこそ新約聖書じゃないんだから、そんなことしなくたっていいじゃないかと何週間も自問自答して
僕は今日chellyちゃんに別れと感謝を告げるために
自分に納得をさせるためにパシフィコ横浜に足を運んだ
ライブでの内容は多くは語らないが、chellyちゃんにも思うところはやっぱり色々あって
それでも笑顔でお別れをしたいと思ってくれていた
EGOISTとの記憶は楽しい記憶であって欲しいと思ってくれた
僕は立てもせずに大号泣してしまった
そんな気遣いと慈悲に、僕は泣いた
多分これが愛なのだろう
chellyちゃんも言っていた通り、僕たちが愛した物語と歌がそこにはあって
互いに互いの事を気にかけてやまないそんな思いこそが
多分愛なのだろうと僕は思った
chellyちゃんと言う名前とEGOISTは本日で事実上活動を停止した
これはどうあれchellyちゃんとEGOISTは死んだということだ
多分それであっているのだ
僕は自身の神が死んだ日に、ようやく愛というものを少し知ったのだ
あなたに捧げてもらったあいのうたが、僕に愛をもたらした
きっとこれでお別れで、もしかするとまた会うこともあるのかもないのかもしれないけど
これから僕は神のいない世界を歩いていかなきゃ行けない
それでも多分神がいたって事はずっと覚えていていいのだと思う
12年間あった思いは消えないし、支えられてきた事実も消えない
僕は明日から*famを外して生きていくし
EGOISTの新曲を待ち侘びる人生を送ることは無い
きっと無いことばかりの人生だけれど
あったことを胸に抱えて生きていきたい
生きる理由は未だに見つからないけれど
それでも希望は僕の胸にあると信じて
ありがとう、EGOIST、そしてChellyちゃん
貴方たちの旅路に幸あらんことを